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いつ雪が降り出してもおかしくはないほどツンと冴えて凍った夜気の中。瀟洒な外観をしたその白亜の建物は、宵闇の迫る中、周囲の植え込みからのライトに照射され、ますますと印象的な風貌を浮かび上がらせており。冴えた夜陰がひたひたと周囲へ垂れ込め始める中、近づくほどに洩れ聞こえるは、壁越しの優雅なストリングスの奏で。正門からゆるやかな傾斜に迎えられ、ロータリーを上っての車寄せまで進み入り、今時に“衛士”と呼びたいような、折り目正しい動作・態度の係官が立つ正面玄関へと降り立って、車を預けたまま、招き入れられたるその先には。クローク前に半白頭を丁寧に整えた紳士が控えていて、来賓一人一人へと、優雅な会釈とともに隙のない目配りをそそいでおいで。招待状を確かめ、自身の記憶と照合し。だからこその、短い会話を交わしてという歓迎のご挨拶を送ってから、さぁさ広間へと案内の者へその先を任せる。ライトを据えた茂みの向こうは、暗がりの広がる大窓を片側に、段通の敷かれた広い廊下を進んでゆけば、とうに去ってしまったはずの黄昏色が暖かく満ちたフロア。セミフォーマルに身を固めた男女が、穏やかな談笑を交わしており、年齢層も幅広く、日本人と同じほど異国の方々も見受けられ、此処だけを眺めると、どこか海外の屋敷の中と言われても通じるかも知れぬ。主には政財界人たちだろう、富裕層の紳士淑女の集まり。立食スタイルのカクテルパーティーらしかったが、人々の談笑を邪魔せぬ程度に奏でられていた音楽が静かに止まり、それが合図ででもあるものか、人々の意識が広間の奥、少しばかり段差のある壇上へと集まる。
【 お集まりの皆様方、
ご歓談をお邪魔して相すみませんが、
どうかしばしの間、ご注目を願います。】
流暢なキングス・イングリッシュでの案内が紡がれて。だが、客人らは“待ち兼ねた”という様子を示す。それもそのはずで、この後に紹介される存在へのお目文字こそが、此処へと集った彼らの真の目当てのようなもの。様々な層の大物らと この場での顔つなぎが出来たことも含め、そんな人々らを此処へと、しかもわざわざ足を運ばせる格好で集めてしまえたほどの存在が、やっとのことでのお目見えらしく。特にハンドマイクなぞ構えてもないまま、そのように場を仕切ってしまわれた、スーツ姿の初老の紳士の声の後。奥まったところにしつらえられてあった扉から、視線も下げての淑やかな所作の侍女に傅(かしづ)かれ。シフォンレースのフリルも軽やかな、ミディ丈のワンピースドレスをまとった少女が、それは泰然とした様子で姿を現した。黒耀石の瞳にブロンズの肌、大人のように結い上げられている黒髪へ、同じシフォンの大きなリボンを飾っている、見るからにまだまだ幼い女の子だったが。広間のあちこちから、ほおという吐息交じりのお声が聞かれたのは、その視線を自身の鼻先よりも下へは下げぬ、昂然とした態度の凛々しさから、やんごとない身分の、しかもそれを自覚しておいでのお人だと一目で判るよな。いかにも毅然としたご令嬢のお出ましで。愛らしいやら、だがだが威風堂々とした態度は、むしろ雄々しいほど頼もしいやら。そんな彼女へと、場内の意識が集中している中、
【 お待たせ致しました。
○○皇国、ハニ・クルムジ皇女をご紹介いたし…、】
司会進行役の男性による、インカムマイクでのご紹介の詞が、だが、中途でぶつりと途切れ、最前列にいた女性の賓客が数名、どんと突き飛ばされてのキャアと悲鳴を上げた。だが、彼女らは単に邪魔だと退けられただけのこと。一体どこから忍び込んだやら、その窮屈な想いごと発散させたいとの勢いよく、人々を掻き分けての辿り着いたる壇上へ、強化ブーツだろう武骨な足元をダンと叩きつけ、そのまま乗り上がろうとした乱入者。粗末な作業服にトレーナーという地味ないで立ちの、どう見ても招待などされてはない不法侵入者であり。しかもしかも、その手には随分と大ぶりな、サメを相手の格闘に使う、シーナイフを掴みしめてもいて。
「皇女、覚悟しなっ!」
乗り上がる勢いのまま、小さな少女へ突っ込んで来ようとした、正しく悪夢のような刺客の闖入だったのだけれど、
―― そこへと閃いた、鋭い刃風これありて。
シックな雰囲気作りのため、暖色の間接照明に塗り潰されていた空間が、突然躍り込んだ狼藉者の持ち込んだ殺気により、打って変わって、殺伐とした空気に凍りつきそうになった筈だのに。
しゃりん・ぎゃりっ、きんっ、という
金属同士が強く押し合ってのすべるように擦れ合ったのだろう、涼やかながら物騒でもある凶悪な物音が鳴り響き。それへ重なって、ドタンドンッという重々しいものが倒れ込む音が続く。その身かわいさに逃げ腰だった人には、自分へ降りかかる火の粉にも思えたものか、そんな騒ぎの気配1つ1つへも、総身を竦ませの悲鳴を上げたところだったけれど。好奇心が勝さってのこと、一部始終を見ていた人には、なかなかに爽快な展開が見物出来ての、のちの語り草になったほど。弾丸、いやさ砲弾のような勢いと、そんな身にまといし殺気のせいだろう、どこか威圧まで帯びて飛び出した無作法な暗殺者だったが。どこの何をどこまで計算したものか、恐らくは捨て身の自爆型、コトが成就した後は、捕り押さえられてもいいという、突撃式の凶行を構えたらしい乱入者のかざしたシーナイフは、恐ろしいかな、小さな少女の頭上から今まさに真っ逆さまに降り落ちんとしていたが。恐怖におののいてか動けぬ少女の前へと割り込んだ影があり。護衛官ででもあるものか、地味な単色のスーツ姿というその男性は、俊敏な身ごなしの、だが、チーフ格だろかと思わせるよな貫禄も持ち合わせていた壮年で。その人物が頼もしい大振りの手で逆手に握っていた、そちらも軍用のそれなのだろう大ぶりのナイフが、相手の切っ先をがっしと捕らえての食い止めている。
「……なっ!」
結構大柄で、場慣れしてもいるのだろ、力押しでも止められやせぬとの自信があったらしき大男が。なのに、片手の相手が楯にした、小太刀らしき和風の刀に受け止められての、しかもそこから、微動だにしない…ばかりか。
「 せいっ。」
裂帛の気合い一喝、
すべては一瞬のこと。
「わあっっ!」
ぐんっと、途轍もない力が盛り上がって来の、手元や腕のみならず、男の総身さえ持ち上げてしまいそうな大きな力が沸き起こり、あっと言う間に無法者をねじ伏せてしまった畳みかけの見事なこと。刃同士が凌ぎ合ったのはほんの一瞬で、悪漢を押し返した存在が、まずは低い姿勢になっての皇女を庇っていた位置からそのまま立ち上がり。手元を返す所作1つで、相手の刃をひねり、釣り込む格好であっさりと搦め捕ってしまった妙技までへと、気づけたお人はどれだけあったやら。こちらもまた、いかにも場慣れした身さばきでもって、それだけのことを軽々とやってのけ。その手から武器を取り上げたというところまでを見届けた、周囲の護衛官らが大慌てで不審者へ掴み掛かって、やっとのことで一件落着。暴漢退治のレクチャーだと言っても通じそうな一連の流れへ、凍りつきかけた空間が今度は一気に ほあうと弛緩し、口々に興奮を語り合う人、あっさりと場を収めた護衛の人へ拍手を送る人などがワッと沸いての、今度は明るい喚声に満たされてしまったのだけれど。
「…なによっ、こんな無様な警護、見たことがないわっ。」
大人たちのざわめきを、低い位置から一刀両断したお声が割り込んだから、場内は再びハッとしてのこと凍りつく。人々が見やった先では、先程の悪漢に狙われた標的、小さな皇女様が、小さな両手を体の両脇に握り締め、憤慨しておりますというお顔で仁王立ちをなさっておいで。
「わたしが紹介される筈だった場でしょう?
なのに今の騒ぎは何っ?!」
「あ…いえあの、親王殿下。」
皇国との紹介があったほどだ、先々では政治の中枢を担う身でもあり、それゆえの気品気概をこの幼さでも身につけておいでと見え。あのような暴漢が襲い掛かったという事態へも、恐ろしさよりも、自分の顔を潰されたとの想いのほうが勝さっておいでなのだろう激しい憤慨ぶりであり。勝ち気そうなお顔がキッと鋭くとがったまま見据えたは、彼女を身を呈して守ったところの、鋼色の髪をした日本人らしき護衛役の男性で。
「そちらのお前。」
「はい。」
ああまでの働きをしたにもかかわらず、息も乱さぬままに速やかに膝をついての傅く姿勢を取って見せ。そんな恭順の態度がまた、当人の体つきの均衡が取れてもいたせいか、ただ型通りというのでなくの、そりゃあ絵になる格好。間近にいた女性客らが、思わず頬染め、見惚れたくらい。だがだが、守ってもらった皇女には何かしら気に入らないことでもあったのか、
「興ざめした。部屋へ帰る。」
だから着いて来いという意味だろう。無言のままきびすを返した態度は、やはりなかなかに昂然としておいで。立って並べば自分の腰まで背丈があるかどうかという、そうまで幼い主人の意に、だが、逆らうこともないままに、功労者のはずな男性護衛官も唯々として従ってゆき、姿を消してしまったものだから。
生まれながらの王族の方だから仕方がない、
いやいや、常にあのような態度で人を人とも思わぬから、
幼いにもかかわらず標的にされるのだ…などなどと。
いろいろなお声が、こそりとながらも ついつい沸き立った広間を、どうかお静まりをと宥めたいか、再び始まったストリングスの演奏が、くるりと優雅に押し包んで………。
◇◇◇
「……相変わらず、大胆なことをなさいますな。」
皇女の私室なのだろう、落ち着いた調度の揃えられた二間続き、壁には隠し扉があっての、そこには侍女の控室までついた部屋までを、黙ってお供した護衛官殿が、辿り着いたそのまま、静かなお声で、ちょっとばかり僭越ながらも意見を寄越す。
「今宵の宴、脅迫状が届いたからこそ規模を緩めたと訊いております。」
「ああ、そうだ。」
やはりやや手荒にイヤリングを外し、ネックレスを外しと、日頃からも好きではない装いなのか、かなぐり捨てるような素振りが…ややもすると勘気の強そうな印象に映らないでもなかったが、
「しかも、日本では初のお披露目。
よって代役を立てても誰にも判りはしないとの皇太子様の指示を、
皇女がねじ伏せたとか。」
「ああ。」
お返事も勇ましい皇女様、窮屈だったか自分で髪に差してあったリボンをむしり取ると、はうと吐息を一つつき、
「お主がいたから無事で済んだあんな危地へ、
わたしと同じくらいの童女を立てようなぞと。」
ハッと強めの息をつき、
「たとえ わたしを案じてのことであれ、
そのような無体を許せはせんかっただけじゃ。」
利発な皇女、もしかして何かのおりにそんな事実が明らかにされたなら、そんな酷なことをする王室ぞと叩かれるに違いないと。そこも危ぶんだほど、実は聡明な少女でもあり。
「オイルダラーには縁のなかった小国なのにな。
レアメタルとかいうものが出ると判るや否や、敵も味方もいきなり増えた。」
そういった国情までもをこの幼さにて把握もしておいでのご様子で。やれやれと言いたげにもう一度の溜息をついた彼女だったものの、
「それに、
こういう段取りを構えれば、
きっと勘兵衛が来てくれると思うたしな。」
「……皇女。」
先程から聞いておれば、何とも物騒な段取りを、自分が中心になって構えたと言い。しかもしかも、大人相手に“無礼者っ!”と怒鳴れるほどというこの皇女様。だが実は…傲慢そうだったのは何割かは演技でもあらさったご様子であり。利発そうなお顔を今は無邪気にほころばせ、かかとの高い細い靴を、蹴飛ばすように脱ぎ散らかすと、背の高い護衛官殿へあらためて歩み寄り。にいと微笑って見せたお顔の、何ともまあまあ無邪気で悪戯っぽかったこと。この会話から察するに、ハニ・クルムジという名のこの皇女様、なかなかに度胸がおありで、尚且つ、実はさほどに高飛車でもなくの、むしろ よくよくこなれたお茶目を得意とするよなお人であるらしく。そこへ加えて、
「先だっては、◇◇◇国の皇女の護衛にもあたったのだろう?」
あの姉さまとはメル友だが、勘兵衛へそりゃあ惚れ込んでおわしたぞと。うくくくく…vvなんて 微妙に俗な含み笑いをする辺り。おませという範疇以上、随分と砕けた気性のお姫様であるらしい
……じゃあなくって
もう薄々とお気づきですねの、倭の鬼神、島田の総帥様が直々に、そりゃあ鮮やかな手際でお守りして差し上げた異国の皇女様。まだ少女でありながら、大人さえ顎で使うよな高慢さをご披露したのは、そうであれば尚更に、この自分を暗殺の標的にもしやすかろうなんて、それは恐ろしい段取りを直々にしいたというからおっかない。しかも、
「勘兵衛が守ってくれるなら、こんな完璧なことはないからな♪」
「…皇女。」
だってホントのことだろうがとツンとお澄ましして見せて。
「来日までの道すがらは良親が付いてくれていたが、
あやつは侍女へ色目を使うからな。」
なぞと、大人をやり込めるよなお言いようがポンポン出るほどで。……傲慢で高飛車よりは果たしてマシと言えるかどうか。(苦笑) それへ加えて、
「七郎次は一緒ではないのか?」
どこまで御存知なのか、勘兵衛には何にも代え難い存在の名前まで、あっさりと口にしてしまう彼女であり。こうまでの口利きをする相手だから、という順番かどうか。勘兵衛の側までもが素の顔に近いそれだろう、メッと窘めるような表情を故意に作っての、
「前にも言いましたが、あやつは正式な手の者ではありませぬ。」
びしりと言ってのけるところ、結構な親しさの現れとも言えて。
「え〜? だって 兄様の騒ぎのおりには一緒にいたではないか。」
ハニはむしろ、七郎次に逢いたかったのにな、と。しゃあしゃあと言い連ねるものだから。まさかに、いくら護衛官とはいえ殿方と二人きりにも出来やせずで、実は同席していた侍女の皆様が、苦しそうに声を押し殺して笑いたいのをこらえておいでだったりもし。
「〜〜〜〜〜〜。///////」
「皇女、
侍女たちが苦しそうですから、
それ以上の暴言は控えてもらえませぬか。」
そんな風に声を掛ける勘兵衛の側とても、本当に心から困っているものかどうかは怪しいもの。というのが、
「皇女様、そのように気ままをなされては。」
此処にはいなかった新たな人物からの、そんなお声が割り込んで来て。あっとお顔を輝かさせた姫様が、
「勘兵衛の意地悪。やはり連れて来ていたのではないか。」
一応はのあかんべを壮年殿へと送ってから、そちらへと駆けてく現金さよ。最後の一歩は“と〜んっ”と強めに踏み切っての、跳びはねた小さな皇女様。しっかと腕の中へ抱きとめたのが、夕飯後に急な呼び立てが来ての、こちらまでお越しをと駿河宗家の隋臣頭、加藤氏によってエスコートされ、特例として勘兵衛の任務へ連れ出されてしまった七郎次さんであり。
「シチっ!」
先程の、それは威風堂々としていた態度はどこへやら。まだまだ躾けも半ばの子犬を思わす無邪気さで、新たに現れたそれは麗しい青年へ“せ〜の”で飛びつく屈託のなさであり。
「お久し振りですね、ハニ皇女。」
「ああ。もう4年は逢っておらぬぞ?」
すこぶると麗しい見目ながら、特に取り立てて有名著名なお人ではなさそうな青年へ、大威張りで甘える皇女様。そんな二人を見やりつつ、彼もまた七郎次とともに此処へ来たらしい久蔵なのへと気がついた勘兵衛が、
「…………。」
「ああそうだったな、お主は聞かされてはなかったようだが。」
それもそのはずで、久蔵とて将来は木曽の総代の座を継ぐ身とはいえ、彼もまた、今のところは島田一族の正式な名乗り上げをしてはなく。よって、ただでさえ内密の務めばかりな中、宗主・勘兵衛が過去の仕事で関わった存在を知らなくとも、そこはしょうがない…のだが。
「七郎次とともに洋行していたおりの務めだったのでな。」
洋行してって、いつの時代のお人ですか、勘兵衛様。(苦笑) 例外もいいところ、勘兵衛様ご自身ですら予想してはなかった、いきなり関わることとなった事態の中でお顔を合わせた皇女様だったのだとかで。当時はもっとずっと幼かったハニ皇女と知り合っての、成り行き上とはいえ二人で護衛…といいますか、お守りをすることとなったのだとか。
「そちらの殿御は誰だ? まさかシチらと同居とかしておるのか?
シチのホットケーキも食べておるのか? わあ、いいなぁ。」
無邪気なんだか、恐れを知らぬというか。実はこちらが本命だったという、優しいお兄さんへぎゅうと抱きつく姿は何とも愛らしいが、暗殺者を引っ張り出そうとし、自分からオトリになるほど度胸もあっての、なのに倭の鬼神の恋女房にべた惚れという可愛い少女。先々では一国の舵取りの一端を担う、そりゃあ頼もしいお顔となるから世の中って判らない。
「いいか、そなた。
先々で勘兵衛の右腕になるというならば、
まずはシチをしっかと守らねばな。」
「…、…、…。(頷、頷、頷)」
「言われずともという顔だな。頼もしいぞvv」
「おいおい、お前たち。」
「あのあの、えっとぉ。//////////」
〜Fine〜 12.01.30.
*なんだこりゃなお話ですいません。
“愛妻の日”のお話を練ってたはずなんですが、
皇女様のお茶目さを書くのが楽しくなってしまいましてvv
そういや、去年だったかにも
どこぞかの皇女様が襲われてしまい、
勘兵衛さんが護衛してたって話を書きましたが、
今回のお姫様は今時の子なのか、
ずっと雄々しくて頼もしい人みたいです。
先々で久蔵さんとタッグ組んだりして?(こらこら)
めーるふぉーむvv 


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